尾島ねぷたまつり @群馬県太田市 え!?群馬にねぷたが!? 8月14日(月)~15日(火) #尾島ねぷたまつり #お祭り #紫吹淳 #堀優衣 #群馬 #尾島ねぷたまつり

いつ:
2017年8月14日 – 2017年8月15日 全日 Asia/Tokyo タイムゾーン
2017-08-14T00:00:00+09:00
2017-08-16T00:00:00+09:00
どこで:
尾島商店街大通り
日本、〒370-0401 群馬県太田市尾島町
料金:
無料


安土桃山時代、豊臣秀吉により津軽3郡等4万5千石の所領を安堵された津軽藩初代藩主津軽為信は秀吉没後、慶長5年(1600年)関ケ原の合戦では、東軍(徳川家康方)に味方し、軍勢を率いて美濃国(岐阜県)大垣城を攻めました。その功により家康より上野国(群馬県)の8ヶ村2000石を加増され、こうして太田市(旧尾島町)に津軽藩の飛び地ができました。
 このとき加増された2000石の内、その約半分の928石(大舘600石、安養寺297石、出塚31石)を太田市(旧尾島町)の城域で占めていました。
 また、大舘(旧大舘村)には、天和3年(1683年)まで大舘村を領していた津軽藩の代官足立氏が居住し、代官足立氏の五輪塔と一族の墓が、現在でも大舘東楊寺境内にあります。
 更に、津軽藩2代藩主信牧は側室辰子(一説では石田三成の娘)をこの大舘に住まわせたので大舘御前と呼ばれ、ここで辰子は長子として信義を産み、寛永8年(1631年)信義は13歳で家督を相続し、津軽藩3代藩主となりました。
 これらの史実がもととなって、昭和60年6月1日、青森県弘前市と交流が始まりました。
 そして、400年の歴史を越えて、平成3年11月25日、弘前市との6年越しの交流が友好都市提携として実を結ぶこととなるのです。

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